ノムさん 選手として監督として
おはようございます。ヤクルトけんちゃんです。
最近、金田正一とか高木守道等大物プロ野球選手であり監督だった人たちが続けざまに亡くなりました。
金田86歳、高木78歳、ノムさん84歳
若死にとは言えませんが、人生100年時代にしては早世といえるかもしれません。
ノムさんの死に関しては、その反響の大きさにびっくりします。
選手として偉大だったのみならず、プレーイングマネージャーとして南海時代に優勝し、
ヤクルトの黄金時代を築き、阪神監督としては不遇でしたが(3年連続最下位)、
急造寄せ集め球団だった楽天を最後はAクラスに導きました。
以前にも書きましたが、巨人以外の複数球団で優勝した数少ない名監督でした。
名監督だったノムさんが選手としてどれほど凄かったかを今日は見てみましょう。
野村克也捕手は1954年ー1980年の26年間をプロ野球選手として過ごしました。
高校時代無名のプレーヤーで、テスト生で当時の南海ホークスに拾われた感じです。
最後の3年はロッテ・西武でした。
終生のライバル長嶋茂雄が六大学野球のスターから当時大人気の巨人に入りホットコーナーを守って
打っての大活躍をしていたのとは対照的です。
しかしその26年間のプロ生活中、3冠王を1度、首位打者を1度、本塁打王を9度、打点王を7度取っています。
657通算本塁打は王貞治に次ぐ歴代2位です。
これから見ると、長距離ヒッターだったのですね。
極めつけの記録は生涯で3017試合出場、うち2921試合でマスクを被っています。
これは谷繁元信に次ぐ歴代2位です。
そもそも捕手は他の野手に比べ重労働ですから、特に近年は各チーム複数捕手制を取り、
正捕手が全試合マスクを被るなんてことはなくなってきました。
強打者だった阪神の田淵幸一や巨人の阿部慎之助も後年は捕手から外れています。
プラス不動の4番として君臨し、さらにプレイングマネージャーもやったわけで、まさに
スーパー野球人といえるでしょう。
それまで内野手出身の監督が圧倒的に多かったわけですが、ノムさん以来捕手としての能力が
チーム全体を見る目につながることが認識され、近年捕手出身の監督は枚挙にいとまがありません。
しかし選手としても監督としても超一流だったのはノムさん以外には見当たりません。
上記数字は各選手個人のWikipedia 及びYahoo スポーツの成績等を参考にさせていただいています